約 11,571 件
https://w.atwiki.jp/san_ds3/pages/338.html
担当君主:董卓 元のシナリオ:洛陽炎上 難易度:初級 勝利条件:曹操・袁紹・袁術・韓馥・馬騰軍を滅亡させよ 評価 評価 S A B 月数 4 6 10 名声 - - - 金米 80 70 50 獲得pt 1000 500 目標は各勢力の滅亡であって君主の斬首ではありません。配下に1人でも逃げられたら1手無駄になるので注意。 出来るだけ空白地を埋めてから戦争をしかけると面倒がないです。 また、反董卓連合イベントを阻止するために曹操は1ヶ月目に滅ぼしたほうが良いでしょう。 袁紹を攻める部隊と馬騰を攻める部隊に上手く戦力配分をするのがコツ。 対袁紹の董卓・華雄組と対馬騰の呂布・曹操組に分けるのがベスト。 5君主の中では馬騰が強いですが、3マスはなれた場所から弓神持ちの呂布で削りつつ、適宜2マスはなれた場所に囮を出して特攻を使わせる 馬騰の体力がなくなって特攻が切れてから総攻撃すれば楽に勝てます。 攻略例 1ヶ月目 ①兵0の武将が許昌に移動 ②陳留に戦争(曹操を仲間にすると鬼強いです) ③鄴に戦争(全員捕らえて登用出来なければ斬首) 2ヶ月目 ④宛に戦争(全員捕らえて斬首) ⑤晋陽に兵0武将が移動 ⑥代県に袁紹攻めをする部隊が移動 3ヶ月目 ⑦南皮に戦争 ⑧安定に呂布と兵0の武将を移動 ⑨天水に他の馬騰攻め部隊、軍事係を移動 4ヶ月目 ⑩天水の軍事係で募兵(曹操に兵を多く割くといいです) ⑪西涼に戦争 ⑫略奪 トップを目指すなら平原経由で袁紹を、鄴経由で曹操を倒して全員斬首、8手+洛陽で略奪をするんだとか。 配下の多い曹操軍、袁紹軍を全員捕らえるまでセーブ ロード必須なのでかなり根気がいるでしょう。 ↑ 別人ですが三か月での攻略に成功しました。 一か月目、長安と弘農全軍で袁術を攻略。皇甫嵩は雁行持ち、戦闘にできる限り参加させない。 洛陽の部隊を弱軍(3部隊程)と強軍の二つに分ける。張繡は激励持ちなので弱軍。 弱軍で韓馥攻略。激励二回してからじっくり攻める。韓馥は一斉攻撃で撃破。勝利後セーブ。 強軍で曹操攻略。自動的に呂布が強行で早く着き、君主到着で士気が34も!上がる。 敵は曹操・夏侯惇・夏侯淵のみ。一部隊を四方で囲えばそれほど難しくはない。 問題は勝利後。曹仁・楽進といった武力の高い兵ゼロ武将が許昌に退却する。その場合ロード。 全員捕らえるまで(10回程)繰り返す。なお、城すべて押さえてから曹操撃破と、押さえずに撃破で逃走数に差はない模様。 運よく曹操を部下に出来たら来月が多少楽になる。全員捕らえた後、呂布だけは洛陽に残しておく。 二か月目、安定に兵数ゼロ武将を移動。天水に長安と弘農全軍で移動。 全軍で劉備攻略。関羽・張飛とも出陣なし。全軍で囲うが弓攻撃に徹する。3か月目の戦闘がない呂布だけ森から鋒矢陣で突撃。 運よく劉備を部下に出来たら来月が多少楽になる。呂布だけは洛陽に残しておく。 三か月目。馬騰攻略。 程銀が走舸陣で突っ込んでくるが陸に上げた後、囲って捕らえる。 その後、馬騰攻略軍と下の城攻略軍とに分ける。 馬騰に全力を割きたいが、そうすると下の城を手放して駆けつけてくる。結局下の城も落とした方が攻略しやすい気がする。 皇甫嵩は雁行、馬騰から3マス離れたところから火矢を繰り返す。密集陣は火に弱いため城の回復分くらいは削れる。 馬騰は三方、最低二方から囲った状態で、兵数多い華雄が横から連攻を繰り返せば辛勝できるはず。 メインの袁紹攻略前にセーブ。 呂布を除く全軍で攻める。顔良・文醜以外は雑魚。兵数削りすぎると退却するのでそれだけは無いように。 顔良・文醜は無双持ちだが移動阻止の意味でも囲う。後ろからの連攻に弱い。 袁紹と隣接しているなら同士討ちも試したい。 残り袁紹、四方からの一斉攻撃で撃破が基本。兵数一万を切ると退却される。一斉攻撃の兵数が多くないなら後ろから攻撃し、一万から一万五千くらいの兵数まで削ってから一斉攻撃。 捕らえた後、審配など武力の高い兵ゼロ武将が代県に退却する。一人でも退却してしまったらロード。 5回程のロードで全員捕縛に成功。 最後に洛陽、呂布が略奪で勝利の美酒。武力によりゲット数が倍くらい変わるのでここは呂布で。 これで3か月目2100ポイント、金米100ポイント、計2200ポイントになりました。 コメント 1ヶ月目。なるべく弓を使って、曹操と韓馥を滅ぼす。陳留では呂布の弓神を活かす。城を占拠すると、結構住民反乱で兵を減らされてしまうので、注意しないといけないようだ - スマホ版 (2021-03-21 13 08 29) 追記。曹操は6回くらいやっても登用出来ないので断念 - スマホ版 (2021-03-21 13 10 21) 2ヶ月目。1月になったら、弘農・長安で住民反乱発生。金で黙らせるが2都市で約1万掛かった。宛攻略では、袁術の同士討ちに掛かりまくり。低能ばかりだから仕方がないが。それでも華雄の密集で削って勝利。全員捕まえて袁術滅亡 - スマホ版 (2021-03-21 13 31 48) 3ヶ月目。南皮戦。董卓ら兵数の多い部隊を壁に弓部隊が後ろから攻撃する。呂布の移動後弓攻撃が有能過ぎる。袁紹は囲んで一斉で殲滅。分散しているためか、全兵数のイメージより全然怖くない。残り2命令で安定を経て天水へ各地の兵と武将を集結して終了。あと、天水の武将は出来るだけ将軍位を上げておく - スマホ版 (2021-03-21 14 57 36) 追記。よく考えたら、南皮戦の武将はもう使わないから、兵減少をなるべく抑えることを考慮する必要はなかった。。。英雄バトルロードをやっていた癖が出た - スマホ版 (2021-03-21 15 00 19) 4ヶ月目。西涼の馬騰軍攻略。夏侯淵ともう一人の雁行持ちで馬騰を地道に削る間に他の部隊は南から敵を倒しながら回り込む。他の敵を全滅させて馬騰を囲んでからもほぼ弓で減らして、最後は華雄の連攻で殲滅。評価は、金米が83ptのBになり、総合A - スマホ版 (2021-03-21 19 12 06) よく分からないまま初めてやって、とりあえず最後に略奪をする意味が判明。金米の評価を上げるためだった。このステージは名声の評価がないから、最後に略奪してもいいということか。あと、途中の住民反乱を金で抑えるのは間違いだったようだ。それから、戦争も兵糧の消費を抑えるため、なるべく短期間で終える方がいいのかも。さらに、兵数は評価されないなら、もう戦争に参加しない部隊は全力で当たればいいということだろう - スマホ版 (2021-03-21 19 22 45) Sクリアを目指して2回目。前回は気づかなかったが、1ヶ月目に曹操より順番が前か後かで状況が変わる。前回同様曹操より先だと、曹操の兵が各武将に分散していて、曹操・夏候惇・夏侯淵の兵が少ない。一方曹操より後だと、先の3人に兵力が集中(曹操は2万)する。袁紹戦があることを考えると、兵の消耗が少ない分散パターンの方が良いだろう - スマホ版 (2021-03-21 21 12 32) 兵分散パターンの曹操を撃破、今回は曹操を登用出来た。最後の略奪用には、呂布は勿体ないので、張遼を残す。2ヶ月目にやはり住民反乱が3都市も。幸い全部説得に応じてくれた。4ヶ月目の馬騰戦には兵2万の曹操を投入して楽に撃破。最後の略奪はしないと金米65ptでB、張遼で行うと82ptでS。総合Sクリア。ただ、ボーナスは1000ptで、先のAクリアと合わせて1500ptだった - スマホ版 (2021-03-23 06 41 47) 名前
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/5.html
一覧表 注意点 コメント 一覧表 史実イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 黄巾の乱 OPイベント 全勢力 桃園の誓い 劉備、関羽、張飛が義兄弟になる 劉焉 劉備、関羽、張飛 少帝廃立 後漢皇帝が献帝になる 董卓、李儒 反董卓連合 OPイベント 全勢力 長安遷都 ○ 洛陽が空白地になる 董卓 董卓、李儒 反董卓連合崩壊 ○ 連合参加勢力間の友好が悪化 董卓、曹操、袁紹 連環の計 董卓、李儒が死亡呂布勢力とその対抗勢力が誕生呂布と貂蝉が夫婦になる 董卓、呂布、李傕 董卓、李儒、王允、呂布、貂蝉、李傕、郭汜、張済、樊稠、張遼、高順、侯成、魏続、宋憲、曹性、王允、李粛、賈詡、張繍、董旻、牛輔 虎を追うもの(典韋登用) 典韋登用 (曹操) 典韋、夏侯惇 悪来対許褚 許褚登用 (曹操) 許褚、典韋 荀彧、郭嘉を推挙す 郭嘉登用 荀彧、郭嘉 郭嘉、劉曄を推挙す ○ 劉曄登用 郭嘉、劉曄 劉曄、満寵・呂虔を推挙す ○ 満寵、呂虔登用 劉曄、満寵、呂虔 曹嵩惨殺 ○ 曹操勢力と陶謙勢力の外交関係悪化 曹操、陶謙 曹操、陶謙、張闓 孫策出陣 OPイベント 孫策 二張推挙 張昭、張紘登用 (孫策) 張昭、張紘、周瑜 徐州禅譲 ○ 劉備勢力が陶謙勢力を吸収 劉備、陶謙 劉備、陶謙、糜氏、糜竺、糜芳、孫乾、陳珪、陳登 糜氏と劉備(結婚) 劉備と糜氏が夫婦になる 劉備 劉備、糜氏、糜竺 許昌遷都 ○ 後漢皇帝を許昌に移動 曹操 曹操、荀彧 二喬婚礼 孫策と大喬、周瑜と小喬がそれぞれ夫婦になる 孫堅、孫策 孫策、周瑜、大喬、小喬 小覇王孫策 周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操登用 孫策 孫策、周泰、蒋欽、陳武、董襲、凌操 偽帝僭称 袁術が皇帝になり、同盟が破棄され関係が険悪になる 袁術 袁術 董承の密勅 ○ 選択によっては董承が死亡し、劉備、曹操間の外交関係が悪化 曹操 、劉備 曹操、劉備、董承 二強開戦(曹vs袁) 曹操勢力と袁紹勢力の友好が険悪になる 曹操 、袁紹 曹操、袁紹 趙雲再会 趙雲登用 劉備 劉備、関羽、張飛、趙雲 好漢劉備 周倉、裴元紹、劉辟、龔都、廖化登用 劉備 劉備、関羽、周倉、裴元紹、劉辟、龔都、廖化 孫策の死 于吉と舌戦勝つと孫策の寿命が延び、負ければ死亡 孫策 孫策、孫権、于吉 周瑜、魯粛を推挙す ○ 魯粛登用 周瑜、魯粛 魯粛、諸葛瑾を推挙す ○ 諸葛瑾登用 魯粛、諸葛瑾 張紘、顧雍を推挙す ○ 顧雍登用 張紘、顧雍 袁家分裂 ○ 袁紹が死亡し、袁尚が勢力を引き継ぐ袁譚が謀反を起こして新勢力を旗揚げ 袁紹、袁譚、袁尚 袁紹、袁譚、袁尚、郭図、辛毘、辛評、王修 御曹司一番乗り 曹丕と甄氏が夫婦になる 曹丕、甄氏、袁煕 郭嘉の死 郭嘉が死亡 郭嘉 徐庶登場 徐庶登用 劉備 劉備、徐庶 曹操の南征 曹操勢力との友好が大幅に悪化 曹操 曹操 徐庶去る ○ 徐庶と舌戦、負けると曹操配下に 劉備 劉備、徐庶、関羽、張飛 甘寧亡命 甘寧登用 甘寧、黄祖 三顧の礼 諸葛亮、黄月英、諸葛均登用 劉備 劉備、関羽、張飛、諸葛亮、黄月英、諸葛均 孔明の嫁とり 諸葛亮と黄月英が夫婦になる 諸葛亮、黄月英 劉表の死(荊州分裂) ○ 劉表が死亡し劉琮が勢力を引き継ぎ、曹操勢力に降伏劉琦が独立し、劉備勢力に合流 劉表、曹操、劉備 劉表、劉琦、劉琮、蔡瑁、曹操、劉備、伊籍、霍峻、向朗、馬良、馬謖、諸葛亮、諸葛均、龐統、魏延、甘寧、黄祖、李厳、劉磐 孫劉同盟 ○ 劉備と孫家、両勢力が同盟関係となる 劉備、孫家 諸葛亮、劉備、曹操 馬氏の五常 馬良、馬謖登用 馬良、馬謖、伊籍 孫尚香の結婚 劉備と孫尚香が夫婦になる劉備勢力と孫家勢力が同盟 劉備、孫家 劉備、孫尚香 呉下の阿蒙にあらず 呂蒙、蒋欽の能力上昇 孫権 孫権、呂蒙、蒋欽 周瑜の死 周瑜が死亡 周瑜、魯粛 落第県令 ○ 龐統の忠誠と功績上昇 龐統、諸葛亮、徐庶、張飛 魏公騒動 ○ 曹操が魏公に就くか選択、選択次第では荀彧死亡 曹操 曹操、荀彧、荀攸 魏王即位 ○ 曹操または曹家血縁君主の爵位が「王」になる。漢室重視の配下、勢力との関係が悪化 曹家 曹操 漢中王即位 劉備の爵位が「王」になる 劉備 諸葛亮 美髯公には及ばず ○ 関羽の所属都市の治安、気力、武将の忠誠上昇 関羽、張飛、諸葛亮、馬超 曹操の死 曹操が死亡 曹操 曹操、曹昂、曹丕、曹植、曹彰、曹沖 九品中正法 ○ プレイヤー勢力全都市の治安、気力、配下忠誠が上昇 陳羣 魏帝即位 曹家血縁君主が皇帝になる配下武将の忠誠と外交関係が変化 曹家 蜀帝即位 劉備または劉家血縁君主が皇帝になる 劉家 劉備、諸葛亮 虎の子(関張2代目義兄弟) 関興と張苞が義兄弟になる 劉家 関興、張苞 呉王即位 孫家血縁君主の爵位が「王」になる 孫家 陸遜登場 陸遜の功績上昇 孫権 孫権、陸遜、周瑜、魯粛、呂蒙、闞沢 劉備の死 劉備が死亡 劉備 劉備、諸葛亮、劉禅、劉封 呉帝即位 孫家血縁君主が皇帝になる 孫家 諸葛亮の北伐 劉家勢力と中原の勢力の友好が険悪になる 劉家 諸葛亮 諸葛亮の死 諸葛亮が死亡 諸葛亮、姜維 史実達成イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 皇叔再興 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇君主の各種経験値大幅上昇 劉備 劉備、関羽、張飛 奸雄邁進 ○ 曹操 曹操、袁紹、袁譚、袁尚、袁煕、高幹 小覇王飛翔 ○ 孫策 孫策、周瑜 飛将乱舞 ○ 呂布 呂布、陳宮、曹操 錦馬超逆襲 ○ 馬超 馬超、曹操、曹丕、曹彰、曹植、曹熊、曹叡、華歆 汎用イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 銅雀台 アイテム「銅雀」を入手 五虎将軍 五虎将軍を候補者から選択五虎将軍に選ばれた武将の功績と各種経験値上昇 統一前反乱疑惑 疑惑武将と密告武将のどちらを処罰するか選択選択によっては疑惑武将が反乱独立 推挙 文官推挙または武官推挙が発生 修行報告 ○ 修行武将と軍師で舌戦または修行武将と登用武将で一騎討ち発生 賞賛 ○ 進言武将の功績上昇賞賛武将の功績・忠誠上昇 誹謗 ○ 進言武将と君主で舌戦発動舌戦の勝敗により誹謗された武将の忠誠変化 漢帝密使※ ○ プレイヤー勢力の金、一部武将の忠誠上昇後漢皇帝擁立勢力との友好低下 (劉備、馬騰) 漢帝援助※ ○ 漢室に金を援助するか選択選択によって配下武将の忠誠、兵士気力など変化 (劉備、馬騰) 嘆願※ ○ 民に金を援助するか選択選択によって技巧ポイント、兵士気力など変化 災害援助※ ○ 兵糧を供出するか選択選択によっては左慈と舌戦発動 左慈 義勇兵※ ○ プレイヤー君主所属都市の兵士が増加 封禅※ ○ プレイヤー勢力全都市の治安、気力、配下忠誠が上昇プレイヤー勢力の君主の能力値が上昇 少帝即位 霊帝が死亡し少帝が即位する 献帝即位 少帝が死亡し献帝が即位する 献帝崩御 献帝が死亡し後漢皇帝が「なし」になる 遺跡・廟発見 遺跡・廟のいずれかを発見する遺跡の場合、発見した月によって効果が異なる 遺跡・廟破壊 左慈イベント、禰衡イベント、玉璽イベント、金イベントのいずれかが発生 左慈、禰衡 旅人訪問 訪問者によって異なるイベントが発生 管輅、許劭、華佗、于吉、禰衡、司馬徽、黄承彦 夫婦の助け 武将の健康状態・体力回復 義兄弟の気炎 武将の所属部隊の気力回復 汎用達成イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 都市制圧 ○ 全配下武将の忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 地方統一 ○ 全支配都市の治安上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 最終決戦 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇残存勢力との同盟・停戦関係が解消 人材充実 ○ 全配下武将の功績・忠誠上昇技巧ポイント上昇 アイテム充実 ○ 君主の各種経験値大幅上昇 技巧習得 ○ 全配下武将の各種経験値上昇 善政 ○ 全支配都市の金・兵糧増加 施設充実 ○ 全支配都市の各兵装増加 能力研究 ○ 全配下武将の功績上昇全支配都市・拠点にいる兵士、並びに出撃中の部隊の気力上昇 史実特別イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 矢を引き抜き目玉を食らう! 夏侯惇の顔グラフィックが変わり左目に眼帯をするようになる 夏侯惇 汎用特別イベントイベント名 PKのみ 内容 関係勢力 関係人物 旗揚げ 在野武将が旗揚げし空白地に新勢力が誕生する 勢力合併 複数の勢力が合併し一つの勢力となる 包囲網形成 複数の勢力が包囲網を形成する 注意点 各種達成イベントはCS版でのみ発生します。 汎用達成イベントは原則的に1プレイに1回しか発生しません。仮に史実イベントの発生条件の調整などのために、途中参加で別の勢力を選択し(以下勢力B)、その勢力Bが先に技巧習得の条件を満たしてイベントを発生させた場合、最初からプレイしていたプレイヤー勢力(以下勢力A)はそれ以降に技巧習得の条件を満たしてもイベントは発生しなくなります。 汎用達成イベントの中で発生条件に「プレイ開始時にプレイヤー勢力の支配都市or配下武将が〇〇未満から開始し」というものは(都市制圧・地方統一・人材充実)ゲームを開始した時点ではなくプレイを開始した時点での判定という意味です。なのでマルチプレイのために一時的にプレイヤーから外してしまうと条件がリセットされるので、その後に途中参加で再度同じ勢力を選んだ場合はそこから「プレイ開始」の状態となります。よって、仮に「人材充実イベント①の条件を満たしているが君主がいないので発生しない」という状態から、その勢力をマルチプレイでプレイヤー勢力から一時的に外して、再度同じ勢力を選んだ状態にすると『人材充実イベント①』の「プレイ開始時の配下武将が30人未満」の条件に適合していないのでイベントは発生しなくなります。 ※の付いた汎用イベントは史実イベント扱いの模様(PCPK)で、初期設定を「汎用のみ」にすると発生しなくなります。 コメント 孫策の死のイベントですが自分は209年で孫策が自然死しました マルチプレイをしていたせいかもしれませんが・・・ -- (六武衆) 2013-06-23 19 47 35 PCPKにて、シナリオ2孫堅から君主孫権になって皇帝になるイベントがあり、孫権の適正や能力値が大幅向上するイベントがあったのですが、見当たりませんね。汎用イベントでしょうか? -- (名無しさん) 2013-11-25 14 29 49 旅人訪問の司馬徽イベントが司馬徽との関係がない筈の 蒋琬、法正で発生したのですが ちなみにPCPKのver1.1です -- (名無しさん) 2013-12-14 03 23 33 hhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh -- (hhhhhhhhhhhh) 2014-01-27 20 52 25 PCPKって汎用達成イベント以外は起きる? -- (名無しさん) 2014-03-01 02 03 32 PCPK落第県令イベントで諸葛亮・徐庶とも配下ではなくても発生しました。 -- (名無しさん) 2014-03-22 16 10 06 文官推挙では自制力に仕官禁止期間の武将でも推挙される場合がある 自分は残り八ヶ月 女の戦いで蔡琰が鐘会を推挙した -- (典○) 2014-03-26 10 28 01 曹操でプレイしてて皇帝即位の段になり、帝位禅譲と帝位簒奪の2通りの結果となったが、分岐は如何程? -- (名無しさん) 2014-07-20 02 19 06 「勢力合併」について。プレイヤー勢力の条件では「支配都市が10以上」とあったので 10以上取らないようにしていたのに、8都市所有したときに馬騰と劉璋が合併してしまいました。 また、結果の項目の中に「君主の能力の低い側が、高い側へ合流する形となる」とあるのですが、 このときの合併では馬騰が劉璋に吸収される形となりました。 ロードでひとまず時間を戻し、編集で嫌悪武将を設定して合併を回避。 数ヵ月経過後に設定を元にもどしたところ今度は劉璋が馬騰に吸収される形に。 君主の能力って、具体的になにを指しているのでしょうか? PS2PKなので条件や結果がPC版限定なのだとしたら、長々とごめんなさいです。 -- (名無しさん) 2014-12-27 15 02 14 たまに廟が5か所しかないことがあって、このときは3か所目からレア特技が習得できるようです。PCPKにて。 -- (名無しさん) 2015-03-10 17 54 51 漢帝を支配下の都市に異動することは出来ますか? -- ( 光武帝) 2015-06-20 14 51 27 イベント 董承の密勅(PCPKでの確認) ツール使用で親密度80上昇を確認。 0→80 / 5→85 への変化を確認しました。 -- (名無しさん) 2015-09-25 18 29 52 荊州分裂イベントが起きにくい。条件揃えても、その前に劉表が死んじゃう。誰かコツを教えてくれなせんか? -- (蟹さん) 2016-02-01 03 47 49 PCPKなのですが、技巧習得のイベントが起きません。条件は満たしているはずなのですが・・・ -- (名無しさん) 2018-04-06 16 00 24 技巧習得は、達成イベントだからCS版のみ発生すると書いてあるぞ -- (名無しさん) 2018-04-07 23 59 34 ↑確認不足でした・・・。申し訳ない。 -- (名無しさん) 2018-04-08 08 14 50 ↑問題ない。ワシもよくやらかすw -- (名無しさん) 2018-04-09 00 00 59 赤兎馬を呂布に渡すイベントないのぉ!? -- (名無しさん) 2019-10-18 14 00 42 個人的に思うんだけどこの11の時のイベントはチュートリアルやステージでみんなはっちゃけてたり三顧の礼が劉備三兄弟のコントみたいだったり左慈イベントの曹操がメチャクチャ尊大だったりと見ていて面白い遊びが多かったな。12以降はまた内容が真面目になっちゃうんでちょっと悲しい。 -- (名無しさん) 2019-11-07 19 03 31 孔明の嫁とりイベント、「『黄月英が未発見の場合』と『黄月英が既出・自勢力配下の場合』でセリフが違う」とありますが、違い過ぎて結構笑える。 -- (名無しさん) 2020-10-25 15 52 21 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/64.html
龔都(きょうと) 字は不明 (生没年不詳) 正史では蜀書『先主伝』に一行だけ登場する。 「袁紹は先主(劉備)に本来の部下達を指揮させ、再び汝南に赴き賊軍の龔都らと合流させ、その軍勢は数千人になった」 つまり、汝南において徒党を組んで賊をしていたのだろう。 官渡の戦いに登場し、袁紹の命令で派遣された劉備(当時袁紹に保護されていたが、袁紹の元を脱出しようと考えていた)と共に汝南で曹操の後方を撹乱するために戦い、曹操軍の蔡陽を殺害。 しかし、官渡の戦い後に曹操直々で劉備討伐の構えを見せると、劉備は汝南を離れ、龔都は行方不明となっている。 『三国志演義』では。 黄巾賊の残党として汝南を中心に、曹洪の攻撃を度々撃退していた。 曹操の命で関羽が討伐に来ると、袁紹の下に劉備がいることを告げて、わざと負け戦をして汝南を明け渡した。 その後、関羽は帰還。 再び汝南を奪還して、今度は袁紹の元を去った劉備を迎え入れる。 手勢の数万の軍は、劉備再起の基盤になった。 後に曹操軍と対峙した劉備軍に兵糧を届けようとしたところ曹操軍に包囲され、張飛の援軍も間に合わず、夏侯淵に討ち取られた。
https://w.atwiki.jp/soutoku/pages/69.html
217年 建安二十二年(漢) 皇帝 劉協(漢献帝) 皇后 曹節(曹操の娘) 三公(漢) 魏王:曹操 太傅:空席 丞相:曹操(前司空) 御史大夫:郗慮→華歆(前丞相軍師) 太尉:廃止 司徒:廃止 司空:廃止 その他の要職(漢) 太常: 光禄勳: 衛尉:→ 太僕: 廷尉:→ 大鴻臚:→ 宗正:→ 大司農:→ 少府:→ 大将軍:? 驃騎将軍:? 車騎将軍:? 衛将軍:? 主な事件 春正月、魏王曹操の軍は居巣にあった。《三国志魏書武帝紀》 二月、曹操は軍を進めて長江西の[赤Β]谿に屯し、孫権は濡須口に在って城を築き守りを固めて拒んだが、遂に迫って之を攻め、孫権は敗走した。《三国志魏書武帝紀》 三月、魏王曹操は軍を還し、夏侯惇・曹仁・張遼等を居巢に屯させた。《三国志魏書武帝紀》 夏四月、-夏六月、丞相軍師の華歆を御史大夫と為す。《後漢書孝献帝紀・三国志魏書武帝紀》 冬東北に流星有り。《後漢書孝献帝紀》 この年大疫。《後漢書孝献帝紀》 誕生者 死没者 ▲PAGE TOP <<216年 >>218年
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/925.html
条件プレイ開始年が208年12月以前で180日以上経過し現在年が208年8月以降 劉表勢力・劉備勢力・曹操勢力がすべて存在する 劉表勢力が以下の条件を全て満たしているプレイヤー担当勢力ではない 支配都市が2都市以上、6都市以下 配下武将に劉琦・劉琮・蔡瑁がいる 劉備勢力の支配都市が2都市以下(攻略本には2都市以上となってるが、正確には2都市以下である、要注意!!) 劉表勢力と劉備勢力が同盟関係あるいは友好が「好意」~「親密」であり、互いの支配都市が1つ以上隣接 曹操勢力が以下の都市を全て支配している北平・薊・南皮・平原・晋陽・鄴・許昌・宛 北海・下邳・小沛・寿春・濮陽・陳留・汝南・許昌・洛陽のうち5都市以上 曹操勢力が劉備勢力・劉表勢力いずれとも同盟を結んでおらず、友好が中立以下 劉表・劉琦・劉琮・蔡瑁・劉備・曹操が行動済みではない 結果劉表が死亡し劉琮が勢力を引き継ぐ劉琮の所属都市を襄陽>江陵>武陵>左の3つ以外で最も兵士数の多い都市の優先順で決定その劉琮所属都市に金+3000、兵糧+30000、兵士+10000、各兵装+3000 曹操勢力に降伏し、伊籍・霍峻・向朗・馬良・馬謖・諸葛亮・諸葛均・龐統以外の配下武将は全て曹操勢力所属に 劉琦が劉琮に謀反する劉琮の所属都市判定の後、劉琦の所属都市を江夏>江陵>長沙>左の3つ以外で最も兵士数の多い都市の優先順で決定 前劉表配下のうち伊籍・霍峻・向朗・馬良・馬謖・諸葛亮・諸葛均・龐統が劉琦勢力所属に以上の武将の忠誠100、伊籍・馬良・諸葛亮・龐統の功績10000、それ以外の武将は功績5000 そのまま劉備勢力に降伏 劉琮・劉琦所属都市判定が行われた後、それ以外の前劉表勢力都市は全て空白化 劉備所属都市に金+1000、兵糧+20000、兵士+10000、各兵装+2000 劉備勢力と曹操勢力の友好が大幅に悪化 魏延・甘寧・黄祖・李厳・劉磐が所属勢力に関わらず、全員強制下野(攻略本では劉琮勢力に所属していた場合とあるが、間違い)以上の武将は36ヶ月の間、曹操勢力への仕官不可 要約すると、例えばシナリオ「三顧の礼」でこのイベントが発生した場合は、 前劉表配下で伊籍・霍峻・向朗・馬良・馬謖・諸葛亮・諸葛均・龐統以外の武将と襄陽が曹操勢力所属になり、劉表勢力が滅亡。 襄陽は曹操勢力所属になった前劉表配下の武将たちが支配し、襄陽に金+3000、兵糧+30000、兵士+10000、各兵装+3000が入る。 伊籍・霍峻・向朗・馬良・馬謖・諸葛亮・諸葛均・龐統は劉備勢力所属になって、その武将たちで江夏を支配。 劉備が居る新野に金+1000、兵糧+20000、兵士+10000、各兵装+2000が入る。 上記以外の前劉表支配都市は空白化するが、内政施設はそのままとなる。 また魏延・甘寧・黄祖・李厳・劉磐は自動的に在野になるので、イベント発生前にこれらの武将を雇っていた場合は再度登用する必要がある。 逆に言うと登用してなかった場合は、(曹操勢力以外は)登用できるチャンスにもなる。
https://w.atwiki.jp/civilization/pages/660.html
プレイレポ/BtS/中国連弩兵で中世にラッシュ/第二章 まさか曹操がw 「副次2回当てたときの鎚鉾兵vs連弩兵」など、縮小された画像の文字が潰れててよく見えません…… -- ご指摘ありがとうございます、順次直していきます -- 筆者 が数ターン曹操の罠を → が、数ターン後に曹操の罠を だと思います -- 曹操のご指摘ありがとうございます。直しておきました -- 筆者 「英雄抒情詩を北京にたてたが」 抒情詩ではなく叙事詩です 誤字指摘ばかりすみません -- 叙事詩も直しておきました。(普通に抒情詩だとおもってたのは内緒ですよ?) -- 筆者 うわー見ただけでライフルまで引きこもりたくなる防御…て落とせるもんだなぁ。てかチチェン・イツァーて! -- まさかの曹操w --
https://w.atwiki.jp/hasekun/pages/233.html
蜀軍武将 魏軍武将 呉軍武将 群雄武将 魏軍武将 2001曹操? 2002司馬懿? 2003荀彧? 2004夏侯惇? 2005張遼? 2006張郃? 2007曹操? 2008曹操? 2009夏侯惇? 2010夏侯淵? 2011夏侯淵? 2012許褚? 2013典韋? 2014曹仁? 2015曹仁? 2016徐晃? 2017于禁? 2018于禁? 2019張郃? 2020蔡瑁? 2021蔡瑁? 2022文聘? 2023文聘? 2024張魯? 2025張魯? 2026曹真? 2027張允? 2028張允? 2029華歆? 2030華歆? 2031朱霊? 2032朱霊? 2033曹昂? 2034曹昂? 2035楽進? 2036楽進? 2037曹休? 2038曹休? 2039曹操? 2040賈詡? 2041賈詡? 2042郭嘉? 2043夏侯惇? 2044夏侯淵? 2045曹洪? 2046曹洪? 2047司馬懿? 2048甄姫? 2049典韋? 2050典韋? 2051曹操? 2052張遼? 2053未実装? 2054未実装? 2055未実装? 2056曹真? 2057曹仁? 2058夏侯惇? 2059張郃? 2060許褚? 2061徐晃? 2062賈詡? 2063夏侯淵? 2064典韋? 2065司馬懿? 2066曹操? 2067張遼? 2068郭嘉? 2069程昱? 2070荀彧? 2071許褚? 2072甄姫? 2073曹丕? 2074于禁? 2075未実装? 2076郭嘉 2077張遼? 2078李典? 2079鍾会? 2080曹洪? 2081曹休? 2082卞夫人? 2083甄姫? 2084荀彧? 2085鄧艾? 2086楽進? 2087張春華? 2088曹操? 2089許褚? 2090卞夫人? 2091夏侯惇? 2092典韋? 2093夏侯淵? 2094賈詡? 2095曹彰? 2096曹操? 2097夏侯惇? 2098許褚? 2099華佗? 2100司馬懿? 2101荀攸? 2102夏侯惇? 2103曹植? ライト? シルバー? ゴールド? シルバーEX? ゴールドEX? 小麗? 大鳳? SP? PayNetCafe?
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/1076.html
登録日:2009/10/21 Wed 02 48 26 更新日:2024/08/29 Thu 10 52 21NEW! 所要時間:約 17 分で読めます ▽タグ一覧 ばっちん むむむ アホの子? 三国志 中国史 五虎大将軍 五虎将 何がむむむだ! 優遇 太眉 娘はバキ 曹操ーー! 曹操!曹操!曹操!ツァオツァオ! 服巻浩司 正義の人? 民族 混血 漢字変換が出来ない所が多い 神威将軍 羌族 蜀 西涼の錦 錦 馬岱の叔父さん 馬超 馬超病 馬超、字は孟起。諡は威侯。扶風郡茂陵県の人。 生年は176年、没年は222年。 【出自】 後漢の開祖・光武帝に仕えた名将である馬援の子孫で、馬騰の息子。 弟にはオバQ馬休、馬鉄。従兄弟には馬岱がいる。 妻は楊氏。彼女は馬超が冀城を追われたときに処刑された。 また、董氏という寵姫もいたが、彼女は馬超が張魯を裏切った際に漢中に置き捨てられ、のち漢中を制圧した曹操により閻圃に下賜された。 馬超は董氏との間に馬秋という子を設けていたが、彼も董氏とともに置き去りにされたあげく張魯に処刑された。 幸い、もう一人の息子として馬承(母親は不明)が生き延びており、馬超死後にその地位を継いだが、彼はそれ以外の記述が一切なく詳細不明。 他に娘がおり、劉備の息子の安平王・劉理に嫁いだ。 馬援の一族は嘘か真か、春秋戦国時代の趙国の名宰相・趙奢の子孫を名乗っている。 孫堅が孫子の子孫だと言い張るぐらいのヨタ話ではあるが、少なくとも馬騰が馬援の子孫だというのは事実らしく、後漢王朝ではかなりの名門である。 その馬援も馬氏の始祖ではなく、前漢の武帝のころまでは確実にさかのぼれる家系であり、その子孫である馬超はまさに漢王朝の古流名門だといえる。 もっとも、その先祖は武帝に反乱を起こしたために馬氏を名乗れなくなったとか、そもそも異民族だったとかあり、純粋なエリート名門とはいいがたい点もあった。 馬騰もチベット系異民族・羌族との混血である。 それゆえ彼らは中央政府にも縁の深い名門にして、異民族とも顔が利く豪族という二つの側面を持ち、西北の辺境においては想像以上の声望と実力を持っていた。 その馬一族の長男が、馬超である。 【史実の馬超】 ・経歴 馬超は先祖伝来の名声と実力に加えて、少年時代から武術も突出して高く、勇名も馳せていた。 しかし196年、馬騰と紛争を起こした韓遂配下の閻行との一騎打ちに敗れて矛で突き刺され、さらに折れた矛で絞め殺されそうになったという。 閻行がハンパなく強かったのか、当時の馬超が弱かったのかは定かではない。 202年、曹操と袁紹が決戦していた時期には、曹操配下の張既と傅幹の説得に応じた馬騰の指示で司隷校尉・鐘ヨウに従軍し、亡き袁紹の甥・高幹とその配下の郭援らの討伐に参戦。 馬超は負傷しながらも傷をその場で応急処置しつつ奮戦し、ついに高幹軍を大破。部下のホウ徳が郭援を打ち取り、討伐に成功した。 その後徐州刺史や諫議大夫に任ぜられ(ただしいずれも赴任はしていない。実際に徐州を収めたのはかつて呂布と組んでいた臧霸)、 208年に張既の説得により父親が入朝すると、馬超も扁将軍・都亭侯となり父親の軍を引き継いだ。 ・曹操への反抗 しかし211年、馬超は父や弟たちを抱えているはずの曹操に対して反旗を翻した。 この頃曹操は西方へと矛先を向けており、さしあたって韓遂や張魯を仮想敵とみなし、先遣隊として夏侯淵などを派遣していた。 馬超は、このついでに自分たちも滅ぼされると警戒心を抱いていたようだ(*1)。 また、一説には馬超は庶子だったらしく、さらに馬騰は鄴に赴くにあたって嫡子を連れて行ったという。 馬超にとっては、馬騰と嫡子を曹操に殺させ、涼州軍閥を完全に我が手に収めたかったのかもしれない。もちろん馬超の内心などは不明だが…… とにかく、涼州の馬氏軍閥を率いて反乱した馬超は、父親の義兄弟である韓遂(*2)、及び独立勢力であった楊秋、侯選、程銀(曹操に降伏グループ)、李堪、張横、梁興、馬玩(よくわからんけど死んだんじゃね?グループ)や羌族などの異民族と連合し、兵力十万と呼称する大軍勢で黄河の支流・潼水に布陣する。 これが俗に言う「潼関の戦い」である。 これに対して、曹操はまず曹仁を派遣し、七月には自らも軍を率いて討伐に赴いた。 曹操は潼関を迂回しようとしたが、その動きを察知した馬超は万を超える軍勢で猛烈な奇襲を敢行。 渡河途中で兵が分断されていた曹操軍を突破し、曹操をもう少しの所まで討ち取れるというところまで迫った。 あまりの苛烈な攻撃に、曹操をして「あのガキが死なないと、俺は葬られる場所もないな」と呻くほど。 しかし、曹操の誇る最強の親衛隊・許褚の奮戦と、さらに校尉の丁斐が飼っていた牛馬を放って戦場を混乱させたため、ついに曹操を取り逃がしてしまう。 やがて曹操軍も疑兵や伏兵で馬超らの矛先を鈍らせ、次第に戦況は膠着。(*3) 設けられた会談の場で曹操を殺そうとするも許チョに阻まれ、最後は賈クの離間の計により陣中が疑心暗鬼に陥った所を突かれ、大敗。 馬超は西へ羌族を頼り逃走した。 その後、入朝していた父親の馬騰、弟の休・鉄、それに韓遂の子供たちが責任を取らされ処刑されている。 ・流浪の貴公子 大敗して自前の勢力さえほとんど失った馬超だったが、彼の先祖代々の声望はいまだ健在であり、羌族の支援を受けて立ち直った。 そして212年、漢中の張魯からも援軍を迎え入れた彼は、再起した戦力で曹操軍を攻撃。 涼州刺史の韋康を降伏の約束を反故にして殺害、冀城を根拠に据えて夏侯淵を撃退するなどして勢力を盛り返すが、 惨殺した韋康の元部下の楊阜たちの謀略を感づけずに惨敗。冀城を追われたばかりか妻の楊氏、その子供たちも処刑された。 やむなく張魯を頼り兵を借りて失地回復を狙ったが、趙昂とその妻王異の奮然を破れず、曹操の援軍が来た為に撤退。 張魯は馬超が来たことを喜んだものの、今までの所業があまりにもアレだったために悪名ばかりが知れ渡っており、幹部たちにも馬超を嫌うものが大勢いた。 結局、居場所がなくなった馬超は214年、家族や部下を置き去りにして出奔し、益州攻略中であった劉備の軍門に降る。 劉備がその馬超が降ったとの知らせを聞くと「私は益州を手に入れたぞ!」と喜んだ。 このことは当時の馬超の勇名が依然として西方に響いていたことを物語っており、劉璋が劉備に降伏する直接のきっかけもこの報告であったという。 程なくして西平将軍・都亭侯に任ぜられる。 ・劉備配下として 劉備軍の麾下ではトップクラスの名門であり、漢朝からの地位も高く、西方世界での知名度も抜群だったため、劉備陣営での評価はかなり高かった。 しかしこの頃の馬超はなんかもういろいろと尾羽打ち枯らしていたのか、往年のような大暴れは見せなくなる。 218年の漢中攻略では張飛とともに下弁方面の陽動作戦に参加するが、麾下の呉蘭と雷銅を討ち取られるだけに終わり、 その後は彭羕の叛意を密告したぐらいしか活躍がない。 219年に劉備が漢中王を自称すると左将軍となる。 実は、劉備に漢中王就任を進めた群臣たちの名簿には馬超が筆頭になっており、どうやら群臣たちの中でも立場は一等抜けたものがあったらしい。 そして劉備が皇帝を自称する221年には驃騎将軍・涼州牧・斄(たい)郷侯となる。 驃騎将軍は大将軍に次ぐほどの階級であり、軍人としてはこれ以上ないほどの名誉であった。 が、その翌年222年に47歳で死去。地位は(名前がわかる限りは)次男の馬承が継いだ。 死去する直前には「臣の一門宗族二百人余りは孟徳にあらかた誅殺されてしまい、ただ従弟馬岱だけが残りました。途絶えんとしている宗家の祭祀を継承させてください。深く陛下にお託しいたし、もう申し上げることはございません」と上奏してもいる。 息子の馬承がいるのに、なぜか馬岱を推していることについては、馬承が劉備に投降してからの子であり、当時はまだ幼児だったからと推察される。馬超は張魯のもとを抜けるときに家族を置き去りにしているので、馬承はそのあとに生まれた可能性はある。 260年、威侯と諡される。 【評価】 錦馬や五虎大将というのは演義の創作だが、実際の史書や各人物の評価でもそれに値する武名を誇った、と言われている。 袁紹との決戦に勝利してからの曹操が、命の危機まで追い詰められたのは馬超ぐらいのものといっていい。 因縁のある楊阜は、かつて劉邦の時代に活躍した韓信や黥布をたとえに出していたし、陳寿も関羽・張飛と並べている。 さらには羌族や氐(てい)族などの異民族にも慕われており、それが彼が幾度となく再起できた理由でもある。 包囲されながらも頑強に抵抗していた劉璋を、ついに劉備に降伏させたのも彼の存在ゆえであった。 いつのころかは不明だが、その娘を皇族の劉理に嫁がせたことからしても、その名声は外戚に選ばれるほどのものがあったようだ。 しかし、その勇猛さと引き換えに人間性はかなり悪い。 当時の人間からも「親には背き主君にも叛逆し、人々を虐殺するとんでもない奴」「あんなのに仕えていたら州の士大夫の皆が恥を被る」「親を愛せない人間が、人を愛すると思いますか?」と散々に言われる始末。 そしてそれを裏付けるように、彼の行動はやたらと謀反・裏切り・騙し討ちが多く、離間にも引っかかりやすい。 そのたびに一族が巻き添えを食って一斉虐殺されるのだからたまったものではない(本人は曹操のせいだとといってるが原因は自分)。 張魯のもとから抜け出すときなどは、これまで艱難を共にしてきたはずのホウ徳さえ見捨てて一人で逃げている。 ぶっちゃけ先祖の威光と劉備陣営に転がりこめたから評価されただけでやってる事はあの呂布より支離滅裂&節操無しで酷い有様である。 『山陽公載記』では、劉備からの待遇が良かったからと調子に乗り「玄徳、玄徳」と字(あざな)呼び(*4)をした為に関羽と張飛がキレて馬超を殺そうとした、とある。 当時関羽は荊州の守備についており、馬超とは顔も合わせた事が無い為に、これはほぼ創作であろう(*5)。 裴松之からも「いくら馬超がアレでも、さすがにそれは無い」と断言しているほど。 しかし問題は「馬超ならそれぐらいの非常識はやりそうだ」と見られていたことだろう。 また、劉備陣営だと馬超の名声や地位の高さから「そう呼んでも違和感がない」事も事実である。 そんな彼だが、良くも悪くも濃いキャラクター性からか人気は高く、三国志を題材とした作品では主役の場合があったりと出番に恵まれている。 【三国演義の馬超】 正史では「馬超が反乱→馬騰らの処刑」という時系列だが、演義では「馬騰らが曹操に処刑される→激怒した馬超が反旗を翻す」というように順番が逆になっていて、 馬超の真意はわからないが、親兄弟を見捨てて私利にて曹操に抗ったとも取れる正史より、馬超と後に仕える劉備の善玉、曹操の悪玉としての印象が強くなっている。 さらに潼関の戦いでは、曹操を追い詰めるにあたって、兵たちが「紅い袍を着たのが曹操だ!」と叫び、曹操が紅袍を脱ぎ捨てると「ひげが長いのが曹操だ!」と叫び、 ついに曹操がひげを小刀で切ると、今度は「ひげの短いのが曹操だ!」と声が響く、という小気味のいい場面がある。 あまりの強さに、演義では「錦馬超」「カムイ神威天将軍」などイカした二つ名がつけられ、それはラストの五虎大将で完成する。 さらに劉備投降前には、夜逃げ同然の史実とは違い、張魯の兵を借りてまずは劉璋の援軍として劉備軍と戦い、張飛との華々しい一騎打ちを見せ、錦馬の名に相応しい武勇を見せつける。 それ以前には許褚とも馬や槍の方が先に力尽きるほどの激闘を展開しており、曹操をしてかつての強敵・呂布を思わせるほど。 ところが、甥っ子のように可愛がってくれる韓遂を相手の言葉も聞かずに疑って韓遂配下から毛嫌いされたり、 韋康を裏切って殺したあげくにその元幕僚たちから恨まれたり、反馬超の強硬派だった楊阜を「忠義と気骨の士だから」とかばったらその彼に容赦なく駆逐されたりといった、 正史準拠の暴走ぶりにポンコツ要素まで加わって、ますますどうしようもないことになっている。 その上、冀城包囲のあたりは正史そのままの残虐さを披露するため、特に価値観の違う現代日本では馬超の評価はなかなか難儀なことになっている。 呂布とは脳ミソまで似ていたということか…… そして、劉備に帰参してからは正史同様、ロクに活躍しなくなる。 何気に寿命が少し延長されているが、司馬懿の五方面からの遠征のうち、異民族からの侵略コースに配置して牽制するというだけの役割で、本人の活躍などは一切なし。 その後は気が付いたら病死しているという描写で、五虎大将としてはおそらく最低の扱い。 ちなみに演義では彼の容姿について『顔色は冠の白玉の如く、眼は流星の如く、体躯は虎で肘は猿、腹は彪で腰は狼』(原文ほぼ直訳)と語られている。 言うまでもないが「この姿のままだった」という意味ではない。もしそうなら妖怪変化の類になってしまう。 対象の人となりを表すために猛獣や霊獣で例える、というのは古来からある中国人流の表現である。 例えば始皇帝は「史記」にて「鼻は蜂のようで目は切れ長、胸は鷲、声は山犬」などと表現されたが、当たり前だが彼は由緒正しい人間であり、「人相の例え」に過ぎない。もちろん史記も由緒正しい史書である。 むしろ、こうしたところから中国らしいユニークな表現方法や感性が見れる、と考えるべきだろう。三国演義は中国人の感性から生み出されたものなのだから。 ・各作品での馬超 横山三国志 演義と流れは同じだが、降るようにと説得に来た李恢の言葉に「むむむ……」と悩み、李恢に「何がむむむだ!」と一喝される、という屈指の名(迷?)シーンがある。 ちなみに亡くなったシーンでは兜を脱いでいるため、馬超と書かなければ誰が亡くなったか分からない。 天地を喰らうⅡ赤壁の戦い 五虎代将軍で唯一登場しない。その立場を魏延にとられた上にグッドエンディングでは蜀が天下統一する為蚊帳の外という哀しい立場に。(*6) コーエー三國志 五虎将の一員だけあって全武将中でもトップクラスの戦闘能力を誇る猛将。特に武力は最上位で、正面切っての殴り合いや一騎打ちには滅法強い。 反面知力と政治はかなり低く、計略に引っかかって力を発揮できないことも珍しくないという典型的な脳筋。誰が呼んだか錦馬超ならぬ筋馬超。 能力値の傾向は張飛にかなり似通っているが、あちらと比較すると機動力に特化した味付けがされており、騎兵適性が最高だったり移動力に補正が付く特技を持っていることが多い。 また、史実・演義でのやらかしのせいで嫌悪武将が非常に多い。馬騰が君主の時に登用に成功していても、彼が後を継いだ途端一斉に下野してしまうので、人材確保に難儀する。 作品によってはイベントで張魯に身を寄せたりさらに劉備軍に移籍することも。史実のように往年の力を発揮できなくなるということはないので存分に暴れさせてあげよう。 近年の作品では「反三國志」出身の架空妹である馬雲リョクも登場するようになった。 蒼天航路 「我が叛気!我が義憤よ!」 許チョの例えでは『鷹』。 此方は正史に近い流れですすむが、潼関での敗戦は曹操軍の圧倒的な力に破れている。 その際に戦友であった馬玩を失い心身喪失状態になり、敗戦を続けてさまよい、劉備の所にたどり着きその徳に触れて心の支えを得、続く漢中攻略で大活躍をする。 余談ではあるが、三国志大戦にてレジェンド枠で蜀軍として参戦したのだが、 台詞がほとんど潼関の戦いでのものである上、撤退の台詞が、誰にやられようと「曹 操ーーー!」であるために、一部でネタにされていた。 ちなみにCVは無双シリーズと同じ人。 台詞から火縄銃の存在を知っていると思われる。 真・三国無双シリーズ とにかく正義(成宜ではない)がどーたらこうたら五月蝿く、とにかく暑苦しく、いつも一人でハイテンションでクライマックスな性格のキャラになっているイメージがあるが、無双モードなどシナリオでは落ち着いている場面が目立つ。「正義」と言う場面もそこまでなかったりする(4は最終章で正義と暑苦しさに目覚めたり、5は第1章以降は冷静で落ち着いたキャラとなっている)。 結構出番が多くある意味では馬超を一番有名にさせたシリーズ。無双OROCHI2では主人公の一人に抜擢されている。 槍を地面に刺してくるくる。空中でもくるくる。攻撃の速度が速く、扱いやすい。見た目の割に攻撃範囲は狭い。 2ではユニーク武器の性能が終わってて(猛将伝で追加された5武器までカス)弱キャラだったが、3以降は馬に乗ったら化ける。 というか馬に乗ってからが本領というかもはや鬼畜の強さ。公式バグとまで言われる始末。 絶影鐙+羌族角+白虎牙+活丹+真空書はほぼデフォ。 5から武器が大剣になったが、6でまた槍に戻った。 無双乱舞が分身し四方死角から相手を蹴倒すというちょっと正義の味方っぽくない卑怯な技に変更された。 「我が槍の唸りを聞けぇ!!」 中の人は某バラエティ番組で「あれを見てみろ!」と言う外国人の吹き替えを務めていたりする。 三国戦紀シリーズ 初代では上半身裸でいかにも主人公っぽい感じの風貌だったが、他よりリーチが短い・攻撃ヒット時の獲得点が低い・拾えるアイテムが少ないなどぶっちぎりの弱キャラだった。あと、インストでは馬超ではなく「マチョウ」と書かれている。(これに関しては、一部からツッコミがあったが、スタッフは「馬超でもマチョウでもどちらでもいいが、私"が"マチョウの方が好きだ」と答えている) (ただし、超必殺技の「魔豹追走」のロマン性能と孔明以外に唯一魔法剣が装備できる点は中々) しかし続編の2では、新技や計略が追加されて大分強化された、もちろんロマン技も「獣咬」と名を変えて健在。 新・三国戦紀では参戦しなかったが、3で再びプレイアブルキャラに返り咲く……が、今までの戦紀とは違い武器が斧になり、ひたすらに「ソーヤァ!」するだけで敵の体力を奪い去るパワータイプのキャラクターに変貌してしまった。 STOP!劉備くん アホの子錦糸町。 SWEET三国志 なんというか空気。蜀取りの際に味方になるが、次の出番は夷陵で丸焦げ。 一騎当千 今の所漫画では読み切りのみ登場。 アニメのXXでは実質もう一人の主役。ボクっ娘。 恋姫†無双シリーズ 大食漢。眉毛。ポニテ。おもらしキャラ。 でも可愛い。 アニメ版では眉毛が薄くなった。 三国志魂 怪獣。 上述の演義の容姿をそのまま再現したらそりゃこうなるわな… 三国志大戦 旧版 蜀では自身への敵からの計略効果を受けなくする効果を持つ一騎当千、 速度上昇+武力上昇+突撃威力を大幅に上げる白銀の獅子、の2枚が蜀版の代名詞となる。 大戦2時代には川原正敏氏の描く槍馬超も追加されていたが、すぐに排出停止となってしまった。 先述の蒼天航路コラボは白銀の獅子のコンパチとなって排出されている。 群雄は蜀版の白銀の獅子を全員に掛ける全軍突撃、範囲内の敵に武力差のダメージを与える錦馬超の閃光、が存在する。 第二版 当然続投となる。 蜀の馬超はどれもSRで自身の兵種アクションを強化する超絶強化(三国志大戦)となっており、 2.5コスの馬と槍が1枚ずつ、3コストの馬が2枚と非常に優遇されている。 その割を食って、というか蜀の有名武将SRは殆ど劉備は仕方ないにしても趙雲・馬超・姜維が大半を占めており、 決して人気がないわけではなく、スペックも良好なのだが関羽や張飛が蜀のSRで出てこれていないのを受けて「また馬超か…」と蜀使いにはため息をつかれることもしばしば。 大戦2より復刻した横山馬超はこちらの白銀の獅子にて登場する。が、旧作に比べるとクソ弱い 群雄にも複数枚存在し、走っている最中はずっと武力が上がり続ける錦馬超の叛撃、大戦3からの復刻である全軍突撃、 「アニゲラ!ディドゥーーン!!」とのコラボカードである穿突の神速行が存在。 復刻した蒼天航路コラボは大戦3と同じイラストでこちらの叛撃馬超が適用された。 まあ、蒼天馬超は劉備に降ってからは殆ど出番なかったし、本来ならこっちが居場所といってもいいだろう。 ちなみに旧、第二版ともに馬超の娘が参戦している。 正史・演義ともに記述がほとんどない中父親の影響を受けて武闘派にされており、 登録名はその名も「馬姫」と書いて「バキ」と読む。 なおバキは後に呂布の息子の劉備として登場した。覇~LOAD~級に意味がわからないがコラボなんで… 嫁も参戦している。 三国志(北方謙三) 蜀に仕えるが病死を偽り、山中に隠棲。 袁術の娘を娶って一子を授かる。 本編の最後を締める。 反三国志 妹が趙雲と結婚し趙雲とは義兄弟に山田やジョコプターを倒す。華きんを丸焼き塩味で食べた。 三極姫 珍しく蜀ではなく群雄勢力として扱われており、女武将として登場。 スキルが使えるのとタイプが騎馬な為、中々高い性能を持っている。 ちなみにホウ徳も同じく群雄勢力だが馬岱は蜀の武将として扱われている。 気性が激しいが一途な性格をしている。 BB戦士三国伝 演者はブルーディスティニー1号機。第三部『戦神決闘編』の主人公。 設定は演義寄りだが、残虐さやポンコツぶりは全てカットされて主人公らしい熱血漢になった。 ブチ切れると目が赤くなって暴走する。 ちなみに親父の馬騰が(何故か)3号機、従兄弟の馬岱が2号機、親友のホウ徳がイフリート改と関係者は全員ブルーディスティニー組が割り当てられている。 映画版では幼少期の姿で登場。ショタ可愛い。 SDガンダムワールド 三国創傑伝 ショク・エリアの自警団ドラゴンズウォッチの最年少…だが最新参ではないという珍しい設定。 錦馬超のイメージからか全身真っ黄っ黄でやたらと目立つ。 自称「火の玉ボーイ」で劉備が留守の間のリーダー代行を任せられるあたり単なる脳筋バカというわけでは無い模様。 演者は『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』よりガンダム・バルバトス。放送当時最新作からの選抜となった。 ブルーデスティニーとは、目が赤く輝いてパイロットの命すら削るほどの超パワーを発揮するというヤベェ機体繋がりである。 モンスターストライク 他の一部のキャラの例に漏れず女体化している…が、その見た目は何故か褐色肌のギャルというものであり、見た目的にはあまり人気が無い。 上述の評価の悪さもあってかハズレの星4モンスターの扱いになっており、かなり弱い。アビリティには後々死にアビと言っても過言じゃないシールドブレイカーと、アンチワープしか持っていない。 ストライクショットもただの自走ものなのでダメージ源になる事は殆ど無く(一応12ターンと短いのだが…)、友情コンボも貫通不可能なロックオン毒衝撃波6なので使い道があまりない。 一応2020年5月には上方修正が行われたが、その内訳はメリットが少ないレーザーストップがアビリティに追加、アンチワープが超アンチワープになる、ストライクショットがスピードバフものになる…と、イマイチな修正。ストライクショットは12ターンでバフが掛けれるというのはチャイコフスキーと同じだが、馬超は反射タイプなので味方に当たりづらく使いづらい。 結果として修正後も使われる事は殆ど無かった。 ウルトラマン英雄伝 演者はウルトラマンダイナ。 やっぱり脳筋勇猛果敢なイメージからだろうか? ・余談 「曹操が、草になって馬に食われる夢を見て占い師に尋ねたら 『「曹」(草と同音)が「馬」に滅ぼされることの現れ』と言われ 馬親子の討伐を決意する」 という民間伝承があるらしい。 勿論孫の代に 「曹」奐 が 司「馬」炎 に禅譲させられることを踏まえた伝承である。 追記・修正は獅子頭の兜に獣面模様の帯、白銀の鎧に白い袍を装備してどうぞ。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 曹操へ反旗を翻した理由としては(漢中攻めの為に)兵力を長安に集めてたのを知って『自分達を攻め滅ぼす気なのでは…』と疑心暗鬼に陥った為、疑心暗鬼から始まった反乱は疑心暗鬼で幕を降ろす事になる。 -- 名無しさん (2013-12-29 18 21 32) 劉備陣営に属したらほぼ、行方不明。 -- 名無しさん (2014-03-14 06 50 12) 五虎将軍とかには任命されてたよね。 -- 名無しさん (2014-06-20 19 22 43) ↑あ。演義の創作って書いてあった。 -- 名無しさん (2014-06-20 19 23 56) 「大食漢。眉毛。ポニテ。おもらしキャラ。”でも”かわいい」の”でも”が納得いかない。”だから”可愛い、だろ! -- 名無しさん (2014-09-08 12 37 07) 荒川先生のギャグ漫画で猛獣のようにたとえられた噂を全部ぶっこんだキメラちゃんだったなぁ。 -- 名無しさん (2015-03-24 19 58 15) だいたいの作品だと優遇されてる人 -- 名無しさん (2016-03-12 00 12 48) ↑2 90年代のコーエー(当時は光栄)スタッフが自社書籍で既に「鵺(ヌエ)の馬超」なるステキニックネームを付けておるw ちなみに荒川先生はコーエーの読者投稿雑誌で三国志の武将の(筋骨隆々の)イラスト常連だったお方でもアルw -- 名無しさん (2016-03-13 01 15 55) 正直劉備に降伏した後はたいして活躍してないし実際劉備より先に死んでる、もう少し長生きしてたらなあ・・・ -- 名無しさん (2016-05-07 23 05 26) むむむ -- 名無しさん (2016-09-10 19 19 39) 服巻浩司さんは三国志大戦では蜀R馬超、三国志戦記でも馬超を演じているせいかあだ名が「馬超」だったりする。 -- 名無しさん (2016-09-10 20 30 12) 夏侯惇が「惇兄」なら、馬超は「超兄貴」だな。 -- 名無しさん (2017-05-22 19 03 29) 馬超の先祖はかの趙括、趙奢と言う物凄い名門だったりする -- 名無しさん (2017-06-06 15 17 22) ↑ 調べたらマジだった…あの趙括の家系かは解らんが血は繋がってるのか… -- 名無しさん (2017-11-09 15 36 58) モンストではなぜかギャルに -- 名無しさん (2020-10-28 08 17 32) 馬超は馬援の子孫だから、後漢王朝とも (大分馬超の時代では薄いがつながりが) ある (馬援の娘が後漢2代目明帝の妻馬皇后)。 -- 名無しさん (2021-02-24 08 39 54) ↑×4 趙奢が馬服君と趙王から授けられたから、子孫はその馬服君からとって馬氏を名乗ったという話ね。 -- 名無しさん (2021-02-24 08 43 19) 小さい頃は馬謖と馬超をよく間違えていた -- 名無しさん (2021-02-24 12 38 59) Wikipediaにまじで「単純に考えても、いくら馬超でもそれはない」って書かれてて草生える -- 名無しさん (2021-02-24 13 53 20) 馬超は羌の血も引いていたから家族を裏切るのにも抵抗が少なかったかも。 -- 名無しさん (2021-03-14 00 40 57) 歴史系Youtuberの動画で「西北部族への義理を血を繋がる一族よりも優先しなければならないから反乱を踏み切った」説もあったな。 -- 名無しさん (2022-01-05 18 53 34) 呂布が裏切ることに抵抗少ないことを、北方民族と近くて儒教よりそっちの感覚があったのだろう。って書いていた書籍あったから馬超も似たベクトルの成長をしたんではないか。 -- 名無しさん (2022-11-11 15 59 30) 正史のこんなんどうフォローしたら良いのって行動を蒼天航路はアウトローと言うか良い感じにまとめたなあと思う -- 名無しさん (2022-11-29 22 29 11) 演技でも結局活躍少ないのって下手にメジャーな人物だから盛る余地なかったからなんだろうか -- 名無しさん (2022-11-29 23 04 26) 時代は違うが敵に肉薄してるけどあと一歩の所で討ちそびれた点で真田幸村と似てるなと思う。幸村はそのすぐ後に討たれたが -- 名無しさん (2023-01-22 07 36 38) 蒼天馬超は潼関の戦い自体が蒼天航路の中では結構後半のストーリーな上お話自体も樊城で終わるんで出番がないというより出れる尺自体がないのが正解かな -- 名無しさん (2023-06-07 15 30 17) 馬超が強かったのは、異民族の騎兵を率いていたからではないか? 劉備の下に駆け込んできたときは逃げ回っていて彼らを集める力はもうなくなって前ほどの力は出せず、地位は高くとも飼い殺しに近い扱いだったのかと推測している。 -- 名無しさん (2023-06-07 15 42 25) まあ残念ながら恐らく一番その力を活かせたであろう環境は北の平野を支配する魏国だったんだよなあ。それならそれで西涼兵を率いて蜀軍に襲いかかる馬超なんて後世どんな扱いになるか知れたもんじゃないが。 -- 名無しさん (2023-06-21 20 16 17) ↑↑劉備からすれば西涼や涼州に顔の利く馬超は、ただいてくれるだけでかなりありがたい存在だったことは想像に難くない たとえ結果的に飼い殺しになっていたとしてもね -- 名無しさん (2023-07-14 00 35 51) 地元が涼州だから長生きしていたら北伐で活躍出来たかも。 -- 名無しさん (2023-07-14 02 27 41) ガンダムだと、どちらも強いけどリスクがある配役が馬超でニュアンスが伺える -- 名無しさん (2024-07-05 19 58 46) 無双4で城壁からJCで矢倉の上に乗って遊んでた思い出 -- 名無しさん (2024-08-18 13 28 41) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/san-puz/pages/61.html
鉄門峡の戦い 要衝の地 【難易度:2、体力:5、合戦:3】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:340、EXP:190 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 魏 【青色秘薬】左慈 『青色秘薬』をドロップ 群 黄巾槍兵 2 51 ★1黄巾槍兵Lv1をドロップ 群 張曼成 4前後 ★1張曼成Lv1をドロップ B3 群 張宝 3前後 ★1張宝Lv1をドロップ 群 黄巾槍兵 x2 隘路を越えて 【難易度:2、体力:5、合戦:3】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:370、EXP:220 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 呉 朱治 3前後 呉 祖茂 4前後 ★1祖茂Lv1をドロップ 群 黄巾槍兵 2 51 ★1黄巾槍兵Lv1をドロップ 群 張曼成 ★1張曼成Lv1をドロップ B3 群 張梁 4前後 ★2張梁Lv1をドロップ 群 黄巾兵長 2前後 群 黄巾槍兵 2か3 風雨の操り手 【難易度:3、体力:7、合戦:5】【優劣:漢→魏→群→漢】 【獲得目安】資金:530、EXP:350 戦 勢 武将 ターン 攻撃 HP 防御 備考 呉 朱治 2 80 ★2朱治Lv1をドロップ 呉 祖茂 3 85 ★1祖茂Lv1をドロップ 蜀 劉軍槍兵 2 48 ★1劉軍槍兵Lv1をドロップ 蜀 張飛 4 128 ★2張飛Lv2をドロップ 群 黄巾槍兵 2 51 ★1黄巾槍兵Lv1をドロップ 群 張曼成 4 121 ★1張曼成Lv1をドロップ B5 群 張宝 4 136 ★1張宝Lv1をドロップ 群 張梁 5 145 ★2張梁Lv1をドロップ コメント コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/genso3594/pages/88.html
郭図(かくと) 字は公則(こうそく) (?-205) 初めは郡の役人だったが、後に袁紹に仕えている。 冀州牧を説得して、冀州を袁紹に譲らせたのは、郭図と高幹の功績であるという。 正史の中で、「帝を迎えるように」と進言した説と、沮授が帝を迎えるよう進言し、郭図はそれに反対したという説と、全く正反対の記述が載っている。 官渡の戦いでは積極策を献じたが、讒言で張郃という武将を陥れ、結果として張郃を曹操軍へ走らせてしまう。これにより袁紹軍が総崩れを起こしてしまった。 袁紹の死後は、長男の袁譚側につく。 だが、形勢不利になると袁譚は曹操に降伏したが、その後背き、戦いに敗れて斬られた。 通称『出ると負け軍師』 これは三国志演義において、献策する度に戦いに負けていることから、『爆笑三国志(By肥)』という本で名づけられた。 参考にさせて頂いた本にも「演義では疫病神的存在」とあるのだから、演義での彼がよほど酷いことが分かるだろう。 簡単に載せると。 曹操との戦い(官渡の戦い)で兵糧基地が襲われ救援を主張する諸将に対し、曹操がいない本陣への急襲を主張 → 大敗 → 更にその罪を張郃らに被せて讒言し、ご丁寧に本人達にも報告 → 彼らが寝返り袁紹軍が総崩れ 袁尚と審配を酒宴に招いて殺そうとする → 見抜かれて負け戦 → 曹操に降伏するよう進言 → 曹操の本心を見抜き、同じように下った武将らと内応して曹操を討とうとする → が、それをその武将らによって密告され、矢に斃れた